「やれば出来るはやってない」
いかにも努力家のお説教みたいなんだけど、そんな話しではありません。

みんな私よりコミュ力全然高そうなのに、人に全然親切にしないな。
電車に乗ってると特にそんな場面に遭遇する回数が増える。
友達とそんなに喋るのに、どうして他人に一言声をかけて問題を解決出来ないのか、よく分からない。

ただし、そもそも私自身が「見知らぬ他人に一度きり優しくすることは容易いけれど、何度も顔を合わせる人間に一度優しくしたらそれを継続しなきゃいけないからしんどい」というクソみたいな考えで過ごしていることもあって、そう感じるのかも知れない。

「ありがとうございます」のあとに「助かります」って足した方が、いい感じじゃない?
「どうですか?」って聞かれたときに「大丈夫です」じゃなくて「完璧です」って答えた方が、安心しない?

そういうことの積み重ねで人に少し気を遣うことを、実践している。

気が乗らないときはやらない。出来そうな場面では惜しみなく使う。
それを繰り返しているうちに私も35歳になって、安定して人と接することが出来るようになってきた。

思春期から十何年も、コントロール出来ないイライラを他人にぶつけて生きてきたのだ。人を見下してた。
そこを通り越して、今では人を見下し過ぎて電車を利用しているときは自分が駅員にでもなった気でいる。仕事かのように、さっと身体を動かして空間を作り、自分がまず率先して避けて道を作り、席を譲る。
あらゆる場面で、自分はここの責任者なのだ。勝手が分からない人間を案内せねばならぬのだ。そんな感じ。
もちろん、する気のないときは一切しない。
それでいいんだ。でも出来るときはやる。
声を出せる。こうすればいいって分かる。だったら一声かけよう。
世の中にはそれが出来ない人が多くて、その多くの人たちが実はそれをやろうと思えば出来るのに、やっていないのだから。
能力は使わなければ出来ないのと同じなんだ。形ある能力ではないかも知れないけど。
そんな風に考えている。