たかまつななのチャンネルに出ている青木さやかの回が姉から送られてきた。

ヤフートップに青木さやかのコラムが表示されるとクリックしてしまう。
自分の幼少期の家庭環境を思い出して共感する。姉は完全に青木さやかさんと同じ現象で自己肯定感が低く、私は根が傲慢だったので根拠のない自己肯定感が異常なまでに高まったと思っている。
褒められないこと、容易く他の子を褒めたりすること。言葉にすればなんと子供っぽい響きなのだろうと思うけれども、確かに私も、もしも結婚することがあったとしたら、もしも子供を持つことがあったとしたら、子供にだけはこうしてあげたい。密かにそう心に決めていることが幾つかある。あなたはあなたのままでいいんだと素直に褒めてあげること、きっと自分がして欲しかったことなんだろうけれど。でもこのまま活用できる機会がなかったとしてもそれでも構わない。自信があるわけではないのだから。

親との関係は私の中ではとっくに清算出来ている。結局は親の要領の悪さに私はずっとイラついていて、主導権が親から子供である姉と私に移った時点で、私の中のストレスは嘘のように消えていった。ちなみに姉は冒頭でも言ったように、青木さやかさんのように心の中に当時の思い出がそのまま残っており、今でも口に出せばその時の記憶のままで声を荒げてしまう。私とは中身が違うのだから乗り越え方が異なるのは仕方がない。

父親とは、今後どんなことがあったとしても一緒に暮らすことはないと思う。ある程度の距離感がなければ今のような優しい気持ちではいられないことがよく分かっているから。月一の通院に付き添い、本人が希望すればその後1時間ほど公園に出掛ける。その程度のコミュニケーションで、お互い思い遣って生活するのがちょうどいい。
父と顔を合わせる度、何を話せばいいのか分からない時期があった。共通の話題などあるはずもなく、インターネットもいくら勧めてもやらないので(私は父の勧めでパソコンを勉強したのに)会話が上手く出来なかった。そんな風なので、あまり会いたくない気持ちも強く、その頃は今よりもっと母や姉に父のことは任せっきりだった(今でも手続きは全て任せているけど)。
ある通院の日に少し離れたソファに座って父を待っていると、座っている父に近付いてきた看護師が笑顔で父と会話している。えらいものだわ、娘の私よりずっと上手に会話してる。その光景をぼーっと見ながら、そんなことを考えていた。
でもその時にふと、ああそっか、別に特別なことを話さなくてもいいんだと思えた。一緒に暮らしてもいない、共通の趣味があるわけでもない、会話なんて天気と体調の話くらいしかない。なら天気と体調の話をすればいいじゃないか、なんで天気と体調の話をコミュニケーションだと思えなかったんだろうとその時に思えた。それからは暑いね寒いね、散歩にちょうどいいね、どのくらい歩いてる?仕事は相変わらずだよ、そんな代わり映えのない会話を会う度して、でもそれでいいんだと思えた分会う時のストレスは消え、父と自然に接することが出来ているように思う。

猫の毛玉さんの看病を終えた時、看病ってコミュニケーションだなと思った。毎日毎日あんなに毛玉さんのことを考えて考えて考えて、間違っていたことも多分たくさんあるけれどあんなに心を砕いて向き合った日々。もちろん猫なのでベタベタするのが正解ではないんだけれど、体調のこと、気温のこと、布団を平らにしたり、隠れるところを作ったり、そういうことを考えて相手のために動くことはコミュニケーションだなと。私は言葉にすれば間違いなくコミュ障なのだけれど、人のようには物言わぬ猫と接したり、家族との関係を改めて考えることで、学生の頃より人と接することに構えることがなくなったように思う。人の本質というのは自分自身でもよく分からないけれど、成長する過程で増えたり現れたりした自分の中の不得手な物事を一つずつ乗り越えることによって、私の中の本当の私を少しずつ磨いて大事にしていくことが出来ている。