大して希望の持てない恋心を抱いたまま過ぎ去った8年間の片思いの末に、区切りをつけて諦めた好きな人が亡くなったことを知ったのは、発表の翌々日の、火葬当日のことだった。
思い返せばその日は朝から自分のために用意した塩サバに添える大根おろしを触った手で目をこすったせいなのか、職場のパソコンに向かうと日の光が眩しくて、痛みもなくすーっと片方の目から涙が零れ落ちて「なんか涙出てきたぁー」と、一緒に働く女の子とお喋りをした朝だった。

何度目を覚ましても、またこの朝に目が覚めてしまったと思う。毎日毎日、一番に思い出すのはあの人が死んだことで、目が覚める度にまたこの悪夢に目が覚めて、ベッドに身体が20cmくらい沈み込んだような、鉛のような感覚。毎日、あの人が死ぬ。何度も、何度も…。もう、起きてもあの人が生きていることはない。いつ自分が死んでも、何も怖くないなと思った。
それまで変なところではねる癖が気になって伸ばせなかった髪も、どうでもよくなって幼少期以来に髪を伸ばした。

仕事を一週間休んで東京と四国へ旅行に行った。全くゆかりのない場所を歩くのは、どこにもゆかりのある場所なんてなかったからだ。
名も知らぬ川に歩いて辿り着いて、目の前の山を眺めた。全く知らない場所の、全く知らない、名前があるかどうかも分からない山。この山のてっぺんにだって、もうあの人はどこにもいないの。そう実感した時に、河川敷で一人でわんわん泣いた。


あの時の喪失感から、どうやって抜け出したんだろう。
ただ同じ悲しみをもつ人たちが頑張っていれば、そうだ私も頑張ろうと思えた。

それから絵を描き始めようと思った。5年くらい絵から遠ざかっていた。家で思い付くまま絵を描いた。あの時から、私は11年間スローペースながらも絶え間なく絵を描き続けている。

私の中にある、悲しみや孤独を、どこかに閉じ込めた。人には伝わらないかも知れないが、私の絵は全てお墓を描いている。一枚一枚、人のいなくなった世界を描いている。

最初にかけてもらった言葉が忘れられず、ずっと好きだったあの人が、自分のことをどう思っていたんだろうというのは、もう20年も経つ日の恋なのに、今でも自分の中で引っかかっている。でも結末が怖くて8年が経ったのだから、知りようもないのは当然だった。私には悲しみの資格さえないような気もしていた。
私の中には、結末から逃げ続ける孤独が染みついている。